ミライエの医師

稲熊 良仁

院長

稲熊 良仁

(いなくま よしひと)

緑町診療所 訪問診療

愛知県出身の稲熊院長は山形大学を卒業後、「自身が住んだことのない土地で暮らしてみたい」という思いから、北海道で医師としてのキャリアをスタートしました。
そして、2020年4月に自身の診療所「緑町診療所」を千歳市に開業しました。
当医師は、診療に加えて自作で机や棚を作成するなどDIY好きでもあります。地域の皆様と共に健康を守り、共に成長していくことを目指して、当院が全力でサポートいたします。

略歴

2001年3月
国立山形大学医学部医学科 卒業
2001年4月
札幌医科大学地域医療総合診療科 同附属病院初期研修医
2002年4月
札幌徳洲会病院初期研修医
2002年4月
鹿児島与論徳洲会離島研修
2004年4月
厚岸町立厚岸病院内科部長
2006年4月
市立函館病院救命救急センター医長
2008年4月
江別市立病院総合内科部長
2009年4月
自治医科大学 地域医療学センター臨床助教
2011年4月
札幌医科大学 地域医療総合医学講座助教
2013年4月
厚岸町立厚岸病院内科部長
2014年4月
倶知安厚⽣病院総合診療科医長
2018年4月
倶知安厚生病院総合診療科部長

専門医

  • 総合内科専⾨医/指導医
  • プライマリ・ケア連合学会認定医/指導医
  • Diploma of Tropical medicine & Hygiene
  • CBRNEテロ・災害医療対策担当者1級
  • ⽇本医師会認定産業医
  • ⽇本医師会認定スポーツ医
  • JATEC/ACLS/PTLS/ICLS/JPTEC修了
  • がん緩和ケア医講習会終了

ご出身地や育った環境について教えていただけますか?

愛知県豊橋市の出身です。周囲に田んぼや小川のある自然豊かな里山の集落でした。小さな頃は自然の中で遊んだりする思い出が多かったですね。幼い頃に両親が離婚しましたので、母、姉、妹の母子家庭で育ちました。裕福ではありませんでしたが昼夜働く母の姿を間近で見たこと、母が忙しい中でも手作りのおやつや四季に合わせた食事を作ってくれたこと、田舎だったので地域の人たちから昔ながらの助け合いを受けたことは自分の人間性に大きな影響を与えたと思います。

どのようなきっかけで医師になろうと思いましたか?

はい、私は幼い頃から動物が大好きな子供でした。
 テレビで「ムツゴロウと愉快な仲間たち」を見て、北海道にあこがれた少年時代でしたね。

 最初は医師ではなく、獣医さんになって北海道に渡ろうと思っていたのです。しかし高校生の時に生物の教師である先生に「君は話が面白いし、人と接するのが好きだから人間のお医者さんの方が向いてるね。」と言われて医学に興味を持ちました。ちょうどその時期に医師を目指す2つの大きな出来事がありました。

1つ目はNHKで「驚異の小宇宙・人体」という特集番組を見たことです。
そこで卵子が、受精する瞬間に衝撃を受けました。
卵子がダンスをするように転がっていき、精子を受け入れた瞬間、卵子に光の輪が走るのです。生命誕生の原点を見て、全身が震えるほど感動しました。

2つ目は叔父の戦時中の医学ノートを見つけたことです。
 叔父の学生時代は第二次世界大戦中で、いつ死ぬかも知れない時代です。大学ノートに詳細なイラストを描き、ドイツ語と英語で書き記してありました。内容は教科書そのものです。当時は物資もなかったのでしょう。教科書の内容をそっくりそのままノートに写して勉強したのだと思います。戦争で死ぬかも知れない、だからこそ必死に勉強する、叔父の執念みたいなものを感じました。

これら2つの出来事から命に対する敬意と医師になる運命を感じました。

医師となられてからクリニック開業までどのような道を歩まれたのですか?

はい、救急医療から始まり、総合診療・家庭医療の分野を歩んできました。
私は阪神大震災、東日本大震災、胆振東部大地震と3つの災害医療を経験しています。中でも大学生時代に阪神大震災のボランティアに行き、医療チームに参加した事から救急災害医療に強く関心を持ちました。またその頃から北海道や沖縄での僻地医療に興味を持ちました。救急でも僻地医療でも幅広い技量が要求される事から、救急総合診療という分野の医師になりました。
 札幌医科大学地域医療総合医学講座に所属し、初期研修を札幌医科大学附属病院と札幌徳洲会病院で研修しました。その後沖縄の離島や北海道の地方の自治体病院、市立函館病院救急救命センター、自治医科大学と札幌医科大学大学病院まで幅広く学んで来ました。中でも地域医療と研修医教育をライフワークとしてきました。
 私は45歳になったら、勤務医か開業医どちらかを選ぼうと常々考えて準備してきました。45歳になった時には自らも地域の住民として過ごす地域医療の魅力にどっぷりとハマってしまいました。患者さんと人生を過ごし、見届ける。病気だけでない患者さんの人生ドラマ、幸福に寄り添うやりがいと喜び、こうしたものが医師としての本分であると考えました。開業して3年になりますが、その思いにブレはないし、後悔もありません。当院は日常の病気やケガを幅広く診療するプライマリ・ケアクリニックです。地域住民がまず最初に相談に訪れるクリニックです。これからは複数医師体制による外来診療の充実や訪問診療など、地域に求められる医療を展開していこうと思います。

医師としてのキャリアの中で、特に印象に残っているエピソードはありますか?

研修医時代の離島勤務で出会った在宅医療の患者さんです。
沖縄に近い与論島の病院に勤務したことがあります。人口6000人ほどのサトウキビと漁業が主産業の小さな島の50床くらいの小さな病院でした。
 ある日当直をしていると高齢男性が受診されました。重症の肺炎で命に関わると思い入院させたのですが、翌朝少し体調が良くなると、「ワシは自宅に帰ります、これで失礼します。」と車椅子で玄関先に家族と並んでいました。こちらはびっくりして、「そんな事したら命に関わります、自宅で死ぬ可能性も高い。」と入院継続をお願いするのですが、本人は「家で死にます。」と頑としてききません。ご家族も「オジイの言うことですから。家に連れて帰ります。」と淡々としているんですね。
 本州の人間には理解できなかったのですが、沖縄の島には自宅で死なないとご先祖の住む天国に行けない、というような土着信仰みたいなものがあるんですね。
 それならば、と毎日往診にいきました。さとうきび畑にぽつんとある小さな家だったのですが、日に日に本州や沖縄本島にいる親戚がぞくぞくと集まってきました。親戚同士が再会を喜んで宴会なんか始めてしまい、酔っ払いが寝そべってる。寝ているオジイの枕元では孫やひ孫が元気よく遊んでいる。何とも不思議な、でも幸せな光景でした。そして数日後の夜中「オジイが死んだよ。先生お願いします。」と家族から電話が入り、街灯もない真っ暗なサトウキビ畑の丘を上がると、近所の人たちが車のヘッドライトを煌々と付けて待っていてくれました。家にあがると親戚一同、皆オジイにすがって泣いている。オジイありがとう。オジイありがとう。幼子たちも訳も分からず、皆泣いてるから泣いている。ご先祖様からオジイが受け継いだ命。オジイは命を生み、死に際に一族の再開を見届け、子孫に囲まれて生命を終えていく。「命の仕舞い方」でしょうか。あぁ、人間だ、人間の人生ってこうなんだと。それを教えてもらった気がしました。それに立ち会うことのできる医師という職業の素晴らしさと厳しさも強く思いました。

開業されてからの3年間で、クリニックにおける最も大切な成果や経験は何だと思いますか?

まず真っ先に思い浮かぶのは新型コロナ対応ですね。2020年に開業してすぐ新型コロナが拡大しました。当初はどんなウイルスかよく分かりませんでしたし、ワクチンや治療薬も開発されていませんでした。千歳市内でも病院で感染クラスターが頻発し、ほとんどのクリニックでは発熱患者さんの診療ができなくなりました。町には受診できない発熱患者さんが溢れるような状況でした。発熱は患者さんにとっては病気の1丁目1番地、それまで診てくれた医療機関が急に門戸を閉ざしてしまったことで、どれだけ不安だったことでしょう。
このような状況で当院は開院後すぐの5月には屋外テントで発熱外来を開始しました。職員には感染症のレクチャーを行い感染防御のために徹底した導線隔離を行いました。その後何度も感染の波が押し寄せましたが、千歳市のコロナ対策の中心医療機関として地域住民のために最前線で医療をしてきました。当初は職員も不安だったと思いますが、よく頑張ってくれました。今も多くの人達から感謝されますが、当院の医療が住民の皆さんの安心につながったと思います。

組織づくりにおいて、大切にしている事はなんですか?

チームづくりです。
当院は医者ひとりが主人公ではなくて、「スタッフ全員でかかりつけ医」という気持ちでチームづくりを行っています。
医師の個人プレーではなく予約から受付、診察、処置、会計まで、職種の区別なく、全員が患者さんへ心から対応まで、その全てが「かかりつけ医」であるという認識です。また、チームに加わるスタッフには以下の3つを伝えています。
1.共創=未来のためにともに新しい医療を創る。
2.共育=相互教育を大切にし、ともに成長する
3.共働=お互いを思いやり、助け合って働く。
これらのことを大切にしながらチーム皆が輝ける職場にしたいと思っています。

地域医療において、今後取り組んでいきたいと考えているプロジェクトや取り組みは何ですか?

はい、3つあります。
1つ目は複数医師によるグループ診療。
2つ目は訪問診療。
3つ目は医療DX
4つ目が災害対策です。

グループ診療を行う目的はいくつかあります。まず医療の継続性です。
クリニックを開業したからには、医療機関は地域のインフラとして続けなければいけない。医師ひとりのクリニックで院長に何かあった時にクリニックが閉鎖されたら、患者さんもスタッフも困ってしまいます。複数の医師がいればそうしたことは防げます。また現代の医療知識、技術の進歩が早く、病気の発見、治療から未病の段階、健康づくりまで幅が広がっています。医師同士の学びを大切にして、複数の医師によるグループ診療で幅広く診る「総合診療」を目指していきます。

2つ目は訪問診療です。
高齢者のみなさん、難病患者さん、家族だけで在宅療養されている方もおられます。皆さん「かかりつけ医に最後まで診てほしい。」「家で過ごしたい、治療を受けたい」という気持ちでおられます。少しずつですが、在宅医療を進め、「町のかかりつけ医」としてそうした患者さんの幸せに最後まで寄り添いたいと思っています。

3つ目は医療DXです。
開院当初からITを取り入れ、外来診療の流れを徹底的に見直し、待ち時間の少ない効率的な診療体制を組んでいます。医師の働き方改革、患者中心の医療に全力で向き合えるクリニックです。最近では全国的にも注目を集め、各メディアからの取材や医師や行政、議員さんからの見学も増えています。
その流れでオンライン診療にも力を入れています。私が大学時代にひとり暮らしをしていた時に、高熱で病院に行くのも辛い時がありました。その時は体調不良と不安でたまりませんでした。また、小さなお子さんがいたり、高齢者を介護していたりする方はご自分が体調不良でも自宅を空けられない方もおられます。そうした方のちょっとした病気に対応したいと思います。サラリーマンの方でも遠方出張中に診察できたり、家族旅行中にだれかの体調不良にも診療相談できたりします。オンライン診療には限界もありますが、うまく使えれば「かかりつけ医」として地域の健康をカバーする事ができます。

4つ目は災害対策です。
当院は屋根に一般家庭10軒分の太陽光電池、また院内に蓄電池と蓄電池つきハイブリッド車(PHEV)を2台備え、「停電に強いクリニック」となっています。
また、当院は公式LINEに15,000人以上がかかりつけ登録してくれています。公式LINEからオンライン診療に繋がりますので15,000人とそのご家族を考えると30,000人以上が当院とつながっています。千歳市の人口が10万人ですから、人口の3割をカバーしている事になります。
公式LINEからはオンライン診療に繋がりますので大規模災害の時には避難所や、個人宅で患者さんが孤立しても、公式LINEからオンライン診療につなげる事ができ災害インフラとしての機能も持たせてあります。
大規模災害の時に避難所が分散したり、個人宅で患者が孤立したりするときにも、公式LINEからオンライン診療につなげる事ができます。公式ラインが災害対策のインフラとして機能する意味も持たせてあります。

プライマリ・ケアを目指す医療者に向けてメッセージがあればお願いします。

はい。医療DXといって、デジタル技術の進歩で医療機器の小型化が進み、それらをネットワークで繋ぎ、AIが登場したことで今後はプライマリ・ケアの現場で行える検査・治療はどんどん拡がっていきます。「地域医療こそ最先端」と呼べる時代が来ています。当院は最先端の外来診療・訪問診療・オンライン診療に取り組み「新しい時代のかかりつけ医」を目指し続けます。是非見学に来ていただいて共に学び、育っていく仲間に加わってほしいと思います。

現代医療において、医師が持つべき最も重要なスキルや資質は何だと思いますか?

どんなに時代が進んでも、医師が持つべき最も大切なものは変わりません。それは「患者さんの幸せを願う謙虚な気持ち」だと思います。医師は医療を通じて様々な人生の内面に触れる仕事です。自分の知識、技術、感情を捧げる気持ち。そして人生の奥深さに敬意を持つことが大切なのではないでしょうか。